大叔母のこと

今日はわたしの大叔母のことを少しお話させていただこうと思います。
大叔母は亡くなった母方の祖父の妹です。大叔母夫妻には子供がいなかったこともあり、母は子どものころから実の母親の様に思い、色々な相談をしたり、しばしば彼女の家を訪ねたりしていたそうです。
わたし自身も母から、「あなたには祖父母が3組いるのだ」と、ごく小さなころから言いきかされ、そのことに何の疑いもなく過ごしました。
「大叔母」という一見遠い続き柄ですが、実の祖母たちよりも心安く話をできる大事な存在です。

大叔母は今回のわののわで「夜の森茶道会席」というお茶席を出させていただくことになりました。(11/3のみ 11時~15時)
「夜の森」というのは、福島県双葉郡富岡町夜の森という大叔母が2011年3月11日まで居住していた地名です。
福島第一原発から9キロ程の場所にあります。
夜の森で彼女は50年以上茶道教授という職業に誇りを持ち、地元に根付き生活をしていました。

3月11日から3月末まで福島県内を転々としながら避難生活を送った後、仙台の我が家で暮らすことになりました。
引き取った当初は影のようにやせ細った姿で、食べ物を口にしてもすぐに戻してしまったり、1日おきに寝込んだり、夜間の救急病院に連れていったりととても不安定な状況が続きました。
次第に日常生活に支障がなくなり、買い物に行ったり外食を楽しんだりという生活が送れるようになりました。

日常生活が戻ってすぐに彼女が望んだことは、「もう一度お茶のお稽古をしたい」ということでした。
何とかして彼女の願いを叶えて、生きる張り合いや希望を取り戻してもらいたいと、母と一緒にサポートをしました。
今では1.2カ月に一度、福島県内はもとより東京まで散り散りになってしまったお弟子さんたちが、仙台の大叔母のもとにお茶のお稽古に訪れてくれるようになりました。
もちろん、以前のような十分な設備もスペースもありません。
それでも「お茶のお稽古」に皆が集まってくれることが、大叔母には何よりもうれしいようです。

全てを無くしてしまった大叔母も、親切な方から譲っていただいたり、わののわで買い求めたりと少しずつお茶碗が増えてきました。
しかし、自宅の教室に全てを置いてきたお茶道具に思いをはせると、やりきれない気持ちでいっぱいになるようです。
50年以上もの間、大事に少しずつ集めてきたお道具たちの無残な姿を思うたびに胸が引き裂かれるそうです。
「無残な姿」というところが厄介なのです。
一瞬にして失ってしまったわけではなく、未だそこにあり続けるけれど簡単に持ち出せるものでもない。
そんな中途半端で、どちらにも転べない状況だからこそ苦しくて仕方が無いのです。

大叔母はよく言います。
「5年帰らないとか、6年帰らないとかそんな話は全く現実味が無い。今88歳のわたしにはごくわずかな時間しか残されていない、極論かもしれないけれど今日と明日のことしか考えられないくらいだ。故郷に帰れる日を待つことで日々希望を持って暮らせる人もいるかもしれないけれど、故郷を諦めることで胸のつかえが下りてすっきり暮らして行ける人もいる。せめてどちらを選択するかを自分で決めさせてほしい」

大叔母は、賠償も補償も帰郷も全てが不十分な中でも、少しでも楽しみを見出して暮らして行きたいと願っています。
小さな願いの一つである「お茶席を開きたい」ということを、今回のわののわで叶えることができそうです。
故郷の夜の森には立派な桜並木がありました。観光スポットとしてもとても人気のある場所でした。
夜桜の中継がニュース番組映し出されたことも何回もありました。
今回仙台の「まめいち」さんにおねがいして、夜の森の「夜桜」の上生菓子を作っていただくことになりました。
11月の季節外れの桜ですが、夜の森を忘れないという気持ちを込めてあります。
うつわは富岡町(夜の森)と同じく警戒区域に指定されてしまった浪江町で作陶されていた、亀田大介さんの作品を使わせていただきます。
みなさんに楽しんでいただけるお茶席になるよう、大叔母一同スタッフ皆で務めさせていただきます。
ぜひお越しくださいませ。

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