あらためて

わののわブログ初投稿です。
わののわ実行委員の岩井と申します。
お会いしたことある方もまだお会いしたことのない方も、あらためましてこれからどうぞよろしくお願い致します。
こちらのブログでは、11月のわののわに向けての準備の進捗状況や、わののわに関わる色々な事柄を紹介して行く予定です。

わたしは現在仙台市に住んでおりますが、母方の親戚はほとんど皆福島県の浜通り地方におりました。国道6号線上に富岡町から始まり、北上しても南相馬市までという狭い範囲内に皆暮らしていました。

そして2011年3月11日を機に、皆が帰る場所を失いました。
津波で全てを失った親戚もいれば、地震の被害だけだったのにも関わらず、原発事故のために自宅に立ち入れなくなった親戚、津波ですべてを流されて上に、警戒区域に指定されたため立ち入りもできない親戚、警戒区域から目と鼻の先の場所で暮らし続けなければならない親戚、それぞれが苦しみを抱えて生活しています。

先日、震災前は浪江町に住んでいた親戚が我が家を訪ねて来てくれました。
彼女の自宅は津波で全て流された上に警戒区域のため立ち入りできません。
今回は流されてしまった中から一枚だけ見つかった着物を、クリーニングに出していたものを引き取りに仙台に来たということでした。
仮の小さな住まいで避難生活をしている人に、着物が必要なのだろうか?と疑問に感じる方もいらっしゃるかもしれません。
しかし、何もかもを無くしてしまったからこそ、以前から大事にしていたものに、より愛着がわいたり、間に合わせではなくて本当に気に入ったものを使い続けて行こうという気持ちが生まれるということもあるのです。

前回のわののわには余裕が無く来られなかった彼女から、今年はぜひ行きたいから開催日が決まっているなら教えてほしいと言われました。
0回目(2011年6月)1回目(2011年10月)の時は、彼女たちの生活を思うと安易に
「仙台にうつわを買いに来てみない?」
と誘える状況ではありませんでした。しかし先日会ったときは、もともとうつわが好きで少しずつ集めていたこと、地元の大堀相馬焼の焼き物市の思い出、全てを流されてしまったけれどまた集め出したいという気持ちになってきたことなどを、話してくれるようになりました。

被災した人も避難生活が続く人も、いつ自宅に帰れるかわからない人も、日々の楽しみを求める気持ちは心のどこかにあるはずなのです。
そんな気持ちに長く寄り添って行けたらーとあらためて感じました。

彼女の家族とわたしの家族でわののわ終了後に秋保の温泉宿に泊まる約束もしました。
「お風呂が良くて、生ビールを飲める宿を予約しておいてね。」という言葉と共に。
あたりまえの楽しみや喜びを、今になってやっと感じることができるようになった人たちが、まだまだたくさんいるのです。
 

 

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